日本語での会話に上手く入れないインドネシア人技能実習生。もしかしたら疎外感を感じているかもしれません。
この記事を読んでくださった皆さんには、海外から来た実習生の気持ちに少しでも寄り添って頂きたいと願い、私がボリビアで経験した言語の壁による寂しさや、その際に私を支えてくれた人のありがたさを紹介したいと思います。
私たちの農園の作業場は、いつも明るい話し声であふれています。
日本語が飛び交う中で、ある一人のインドネシア人実習生(以下、実習生)が黙々と作業に勤しんでいました。その様子を見ていて、自分が国際協力隊の一員としてボリビアで活動していた時のことを思い出したのです。
日本で2ヶ月半、現地に入ってからは1ヶ月、語学学校でボリビアの公用語であるスペイン語を勉強しました。しかし、ボリビアで暮らし始めて数ヶ月経っても、ネイティブの会話はなかなか理解できませんでした。
同僚たちの会話のスピードについていけない
ボリビアの職場での話です。談笑にふける同僚たちの話は、私にはスピードが速すぎてなかなかついていけませんでした。知らない単語があると、すぐさま辞書をめくって調べようとするのですが、その度に会話を止めてしまって私との会話は長続きしません。自然とボリビア人の同僚だけの会話に戻って行くのでした。パーティの輪に入れず一人寂しい思いをするような、そんな孤独感を感じる日々でした。
「ありがとう」の返事が「なぜ」?
買い物をした時の話です。お店のおばさんに商品を手渡され、「Gracias(ありがとう)」と言ったところ、「por que(なぜ)」と返ってきました。私はてっきり、教科書で習った「De nada(どういたしまして)」と返答されると思っていたので、予想外の言葉に混乱してしまいました。どうして『なぜ』と言うのですか?」と聞き直しましたが、逆にお店のおばさんは当惑した表情で、私の質問には答えてくれませんでした。気まずい雰囲気のまま、私はその店を後にしたのでした。後になって分かった事なのですが、この場合の「por que」は、「どういたしまして」というニュアンスで使われる方言だったようです。
私を救ってくれた存在
同僚の会話の輪に入れない寂しさや、お店の人とのやり取りですらまともにできない不甲斐なさにより、だんだんと「話すこと」に無気力になっていきました。ボリビアの人々が話す言葉が呪文のようにしか聞こえず、気づけば私は「おはよう」「こんにちは」「さよなら」などの必要最小限の挨拶しかしないようになっていました。
しかし、そんな私に手を差し伸べてくれるボリビア人もいました。ある人は、会話の内容を私に分かり易い言葉で言い直してれました。またある人は、私の知らない単語があれば一緒になって辞書を引いてくれたり、聞き取れるようにゆっくりと話してくれたりしました。スペイン語は動詞の変形が6種類ある言語なのですが、私の話をゆっくりと聞いてくれながら、間違いがあるとその都度正してくれる人もいました。
一時はほとんど挨拶しかしなくなっていた私でしたが、徐々にスペイン語が上達していき、いつの間にか積極的に会話をするようになっていました。
私自身のことを理解してくれようと、時間を割いて話を聞いてくれたボリビア人の存在があったからこそ、彼らとコミュニケーションを取れる喜びを味わうことができました。
受け入れ農家の方々へ
黙々と作業を続ける実習生。理解できない日本語の中で寂しさを感じているかもしれません。会話に入っていくには、本人の努力ももちろん必要です。ですが、慣れない異国の地で、私たちが想像できないようなストレスに晒され、辛い思いをしている実習生もいるはずです。そんな彼らに少しでも寄り添って頂けたらと思います。
私がボリビアで会話の面で彼らにしてもらって嬉しかったことを次の通りまとめました。ご参考にしていただけますと幸いです。
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会話の内容を私に分かり易い言葉で説明してくれた。
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私が理解できなかった単語を、辞書で調べて教えてくれた。
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知らない単語の綴りを教えてくれた。
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上手く喋れない私の話をゆっくりと聞いて理解してくれようとした。
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間違った言葉の使い方をその都度正してくれた。
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①〜⑤を嫌な顔の一つもせず続けてくれた事。